古墳時代が終わる6世紀中期頃から、王宮が奈良盆地南部の飛鳥に代々営まれるようになった。そのため古墳時代に続く時代区分を飛鳥時代という。古墳時代後期から中国大陸や百済などからの渡来人が多数来朝しており、その多くは飛鳥時代に奈良盆地や河内平野など畿内近国に定着して帰化した。高速バス 横浜 645年に乙巳の変で蘇我入鹿が宮中で暗殺されると、孝徳天皇により大化の改新が行われ、飛鳥から難波長柄豊埼宮(大阪市)への遷都が実施された。その後、天智天皇が政権を握ると、667年に大津京(大津市)への遷都が行われた。 672年には天智天皇の後継者争いから壬申の乱が勃発した。この古代最大の内乱は畿内を舞台に行われ、これに勝利した大海人皇子(天武天皇)は飛鳥浄御原宮(明日香村)に遷都し、中央集権的な国家造りに取り組んだ。天武後継の持統天皇が奈良盆地南部に営んだ藤原京は、日本史上最初の都城である。高速バス 広島 701年に大宝律令が施行され、律令制が本格的に導入され始めた。律令制の地域区分である五畿七道によれば、大和国・山城国・摂津国・河内国・和泉国の5国が五畿(畿内)とされたほか、丹波国・丹後国・但馬国が山陰道に、播磨国が山陽道に、紀伊国・淡路国が南海道に、伊賀国、伊勢国が東海道に、近江国が東山道にそれぞれ区分されていた。 710年には平城京(奈良市)への遷都が行われ、以後を奈良時代という。平城京には10万人が在住したと推定されており、突如として出現した日本最初の大都市であった。 8世紀後期になると、桓武天皇によって長岡京そして平安京(京都市)への遷都が相次いで実施された。この平安遷都(794年)から1192年までを平安時代という。平安後期には平清盛が福原京(神戸市)を計画した。 平安時代を通じて、畿内近国は朝廷の統治が比較的及びやすい地域だった。例えば、9世紀後期には諸官庁の経費をまかなうための官田が畿内に4000町設定されたほか、他の地域で次第に実施されなくなった班田が畿内諸国では10世紀まで継続した。平安中期に名田制が登場すると、名田の面積を均等化した均等名が多く見られた。平安後期の荘園公領制の形成過程では、他地域よりも荘園の増加がいち早く進行した。 中世高速バス 格安 鎌倉時代には武士による荘園・公領への侵出が著しくなったが、多くの権門(有力貴族や有力寺社)の権利が複雑に入り組む荘園・公領が汎在する畿内近国では、武士の侵出は他地域ほどとはならなかった。収入の増加を目論む権門は中国由来の農業技術や新たな農業技術の導入に努め、畿内は農業技術の先進地域となった。例えば、畿内では鎌倉時代までに早くも二毛作が実施されていた。 また一方では、商人・職人らが商業上・生産上の特権を得るために、有力寺社の神人となったり、天皇に奉仕する供御人となる動きが顕著に見られた。こうした神人・供御人らは獲得した特権を背景として座とよばれる同盟を結成し、畿内のみならず他地域に渡る広範な交易活動を展開した。 農業生産の向上と交易活動の広域化は鎌倉中期ごろから進展していき、畿内を中心に流通の活発化、銭貨の普及、そして社会の流動化をもたらすこととなった。従来の荘園領主・武士層とは異なる階層が急速に経済力・政治力を持ち始め、彼らは悪党と呼ばれた。後醍醐天皇の倒幕運動に呼応した楠木正成も悪党の一人だったと考えられている。パラオ ダイビング 悪党の台頭は社会構造の流動化を加速させ、従来は荘園領主・国衙・武士に支配されるのみであった村落が、自検断権を持ち領主と対等に交渉しうる惣村へと発達した。室町時代当時、惣村だけではなく、神人・供御人として広範な商業活動を行っていた土倉・馬借らや、在地武士層である国人らも高い自立性を有していた。その帰結の一つとして、15世紀前期から土一揆・徳政一揆・惣国一揆が発生した。こうした自立性・自主性の高さから、戦国時代になっても他地域のように戦国大名による一円的な支配は行われず、織田信長・豊臣秀吉の出現を待つことになる。 南北朝以降勘合貿易や南蛮貿易の拠点であった堺は、会合衆と呼ばれた有力商人らによる自治都市として栄え、「東洋のベニス」とも称された。しかし織田信長・豊臣秀吉の支配下で都市は解体され、商人の多くは大坂へ移住させられた。 近世高速バス TDL 姫路城 江戸時代になると、西廻り航路を通じて日本海沿岸から瀬戸内海沿岸の物資が集積する大坂は「天下の台所」と呼ばれ、日本最大の商都として著しい繁栄を見せた。また、松坂は伊勢商人の本拠地、近江八幡は近江商人の本拠地として、それぞれ「本店経済都市」として栄えた。 江戸時代以降、鈴鹿関と須磨の関に挟まれた地域は「関西」や「上方」と呼ばれるようになり、上方文化の中心地となった。上方文化を象徴する人物には井原西鶴や近松門左衛門などがいる。 近畿地方における有力な藩としては、徳川御三家の紀州藩(紀州徳川家、56万石)や彦根藩(井伊家、35万石)や姫路藩(池田家、52万石)などがあった。紀州藩は西日本の鎮として睨みを利かせ、彦根藩は中山道沿線を領土として京都に対する備えとして、姫路藩は瀬戸内海に面する山陽道沿いを領土とし西国に対する備えとして、配置されていた。3藩とも幕府にとって重要な存在であったため、居城の和歌山城と彦根城と姫路城は大きな規模を誇っている。 幕末には京都が維新に向けた重要な舞台となり、二条城で大政奉還が行われた。 近現代石垣島 ダイビング 神戸旧居留地 宝塚歌劇団 現代の大阪市 明治維新を迎えると、天皇は京都御所を出て江戸城に滞在することになった(東京行幸)。この時、江戸は東京と改名され、国家機関も東京に置かれた。このため畿内では衰亡の危機との危惧論も出されたが、1897年の京都帝国大学(京都大学)の創立を初めとして、文化の中心地として復興が行われた。大坂は大阪に改称され、引き続き経済と行政の中心地となった。幕末に海軍操練所が置かれて維新直前に開港した神戸は明治20年代末には東洋最大の港湾都市へと発展する。 1871年の廃藩置県後の近畿地方を概観すると、大阪府、京都府、兵庫県、和歌山県、奈良県、滋賀県、三重県となっている。若狭地方は、1876年8月に滋賀県に編入されたものの、4年6ヶ月後の1881年2月には滋賀県から分離され、福井県に編入された。 交通面では、近畿地方各地を結ぶ鉄道が官民両者によって建設されるが、京阪神の都市間では電鉄会社が中心となって鉄道整備や多角化事業を活発に競い合い、近畿地方は長年「私鉄王国」と呼ばれることとなった。軍事面では、日本海沿岸の舞鶴に海軍の拠点(舞鶴鎮守府)が置かれた。 明治20年代末以降は京阪神に富裕層が集まり、関東大震災による東京の衰退もあって、昭和初期まで東京に並ぶ日本の文化・経済の拠点となって多くの文化人・経済人を輩出した(阪神間モダニズム)。しかし昭和10年代に戦時体制がとられてからは有力企業や資本家の東京への移動が始まる。 第二次世界大戦の戦災を受けるも、高度経済成長期には1963年7月に名神高速道路が開通、1964年10月に東海道新幹線が開通し、1970年に日本万国博覧会(大阪万博)が開かれ、1970年代に神戸港が世界一のコンテナ港となるなど復興を遂げた。南関東に次ぐ日本第2の経済圏を形成するが、オイルショックやバブル崩壊、阪神・淡路大震災などを経て近畿地方の地盤沈下が発生している。 参考文献SEOとは * 網野善彦、『日本社会の歴史(上)・(中)・(下)』、岩波新書 文化 文楽 セブ ダイビング 近畿地方は日本文化の中心として古くから活発な文化活動が行われ、数多くの伝統芸能や文化財が継承されている。そのため、国宝・重要文化財の約6割、人間国宝の約3割、日本の世界文化遺産の11件中5件(法隆寺地域の仏教建造物・姫路城・古都京都の文化財・古都奈良の文化財・紀伊山地の霊場と参詣道)が国土面積7%の近畿地方に集中している。ことに京都や奈良は古都として名高く、国内外から多くの観光客を集める。宮古島 ダイビング 江戸時代、上方は町人層を中心に発展し、豊かな経済力を背景に元禄文化(上方文化)が花開いた。大衆演芸が活発に行われ、上方歌舞伎や文楽、上方落語などが生まれた。近代には漫才が発達し、大阪はお笑いの一大拠点となった。 町人主体の地域柄、大坂では合理主義的でイラチ(せっかち)で実と本音を重んじる気風が育まれた。これは理想主義的で名と建前を重んじる武士主体の江戸のそれとは対照的なものであった。そのため大阪の気風は江戸・東京側から特異なものとして誇張して捉えられ、また近畿地方全体がそうした大阪のイメージで一括りにされることがよくある。ステレオタイプな大阪・関西像についてはこちらも参照。 年中行事ビジネスホテル大阪 お松明 地蔵盆 岸和田だんじり祭 * 正月 - 雑煮は白味噌仕立てに丸餅が主流。初詣は例年伏見稲荷神社・住吉大社・生田神社が人気。 * 十日えびす(1月10日ごろ) - 西宮神社の「福男選び」が有名。 * 若草山山焼き(1月中旬) * 節分 - 恵方巻の風習がある(ただし一般家庭に広まるのは戦後から)。 * 東大寺のお水取り(3月上旬) - 「お松明」とも。関西に春の訪れを告げる行事。 * 雛祭り - 古式に則り、男雛を右側に飾る。 * 十三詣り(4月13日) * 納涼床(5月?9月) * PL花火(8月1日) - 世界最大級の花火大会で、信者以外にも大勢の見物客が集まる。 * 大阪三大夏祭り - 愛染まつり・天神祭・住吉祭 * 五山送り火(8月16日) * 地蔵盆(8月下旬) * 地車(だんじり)(9月ごろ) * 播州の秋祭り、灘のけんか祭り(10月14・15日) * 鞍馬の火祭(10月22日) * えびす講(10月下旬または11月下旬) * 大根焚き(12月上旬ごろ) * 春日若宮おん祭(12月17・18日) * 京都三大祭り - 葵祭(5月)・祇園祭(7月)・時代祭(10月) 食文化 :Category:近畿地方の食文化も参照 近畿地方の食文化の特徴は薄味が好まれることである。これは江戸時代、北前船によって蝦夷地から昆布が大量にもたらされたことや、播磨国龍野でうすくち醤油が考案されたことが関係している。また白味噌も多用する。海運などを通じて食材の集積地だった大阪は「大阪の食い倒れ」と称され、現在もたこ焼きやお好み焼きといったB級グル大阪ビジネスホテル メからフグ料理や懐石のような高級料理まで、幅広く楽しむことができる。 そのほかの近畿地方の食文化の特色としては、但馬牛・神戸牛・近江牛・松阪牛といった和牛の産地であり牛肉の消費が高い[1]ことや、灘五郷や伏見など伝統的な日本酒の一大産地であること、京都市を筆頭にパンの消費が高いこと[2]などが挙げられる。